体質改善にも役立つマクロビオティックのすすめ

はじめに

健康法。それは、現代日本を生きる我々にとって、欠かすことのできない節約術なのかもしれません。長生きのためや、若さを保持するための方法は様々にあり、健康食品市場は2兆円規模とじも言われています。食品以外の健康市場全体を考えると、この倍は超えてくる可能性もあります。

 

多くの人が、大量のお金をばらまいてまで欲しいもの。それが健康です。本ブログでは、中でも最近注目を集めている、マクロビオティックに関する投稿を掲載していきます。

 

マクロビオティックとは、なんでしょうか?
マクロは、マクロ経済学のマクロと同じです。大きな視野から、なにかを望むことをさしています。ビオティックとはBioticのことで、生物学です。大きな生物学。なんのことでしょうか? これは、日本語だと「健康による長寿法」と訳されます。

 

単語自体の意味は、長寿法なのですが、一般にマクロビオティックと呼んだ場合は、穀物、自然食などを中心とした食事による健康法をさします。実際、単語自体は食事に制限されないのですが、まぁ自然と調和することが健康への最大の近道だよ、という精神を実践する宗教のようなものです。

 

西欧での熱心なマクロビオティック家は、食事だけでなく、呼吸法や、ひいては風水などの呪術関係も生活に取り入れて、自然と調和しながら生活していく方もいらっしゃるようです。

 

西洋で人気が高いのは、マクロビオティックはそもそも「和」を発祥としていること。そうです、日本で考えられたものなのです。それが、いまや逆輸入され話題となっている訳ですね。

 

提唱者は日本人!

マクロビオティックは、実は日本に発祥がある、ということは先の投稿でお話ししました。これはどういうことなのでしょうか?

 

これは、日本の食文化研究家である桜沢如一(さくらざわ ゆきかず、1893-1966)が、彼の行った講習会ではじめてマクロビオティックを提唱したことに端を発します。

 

ここでは、彼がどのようにマクロビオティックに至ったかを少しお話ししましょう。 彼が10代を過ごした1900年?1910年は、ちょうど明治時代が終わりを迎え、大正時代へ移動する頃です。日本は日本国ではなく、大日本帝国として世界に目を光らせ、大日本帝国の最盛期にはいっていく、ちょうどその頃に桜沢は、食養家・後藤勝治郎の元に弟子入りします。(彼は、若くして病気を患っていたため、自身の回復に努めたいと言う希望があったようです)

 

彼は1929年、40近い頃、単身シベリア鉄道をつかってパリに渡り、ソルボンヌ大学に留学します。そこで、自らが培った東洋思想をパリに紹介します。これが一気に人気をよび、現在でも西欧を中心に東洋の神秘的な「禅」や「陰陽」が広く知れ渡ることに貢献したと言われています。8年間の留学を経て帰国後、1937年に「食物だけで病気が癒る・新食養療法」という本を出版し、ベストセラーとなります。

 

そして、戦争が終わった1945年、かれはインド、アフリカ、欧米など世界各地をたずね、マクロビオティックの普及に尽力しました。

 

彼がマクロビオティックを提唱したのは、じつはフランスにわたる前、1928年の講習会であったと、後に婦人が述べています。彼は、自身の提唱したマクロビオティックの理論を完成させる為に、パリへ留学したのかもしれません。

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